れんげとおばあちゃんと母、春になると思うこと







【MELLOW’s Diary】MELLOWの編集者が綴るDiary。
春になると思うこと。

れんげの花に思うこと

あれは小学校に入学してはじめての授業参観日でした。週休2日制になるずっと昔のことだから、もしかしたら土曜日の午前中のことだったのかもしれません。

母が来てくれて、授業中何度も振り返ってちょっとそわそわした時間。授業終わりに先生が「来週の月曜日にれんげを持ってこられる人はいますか?」と言いました。

れんげ。ピンク色した小さな花。私はれんげが大好きでした。田舎の田舎、山深いところにある母の実家、大好きなおばあちゃんちには毎年春になるとそれはそれはたくさんのれんげが咲きました。れんげを摘んでは花輪を作る、時間が経つのを忘れて、私はそこで過ごしました。当時私が住んでいた家からおばあちゃんちまでは車で30分程度。毎月会いに行っていたから、今週末はれんげを摘みに行きたいなと思いました。

母の方を振り返ると「いいよ。」と言うかわりににっこりうなずいたので、私は「はい。」と手を挙げました。私のほかにも数人が手を挙げていて「じゃ、月曜日にお願いしますね。」と先生に言われて授業参観は終わりました。

帰り道「週末はおばあちゃんちに行こうね」と話していたのに、土日、私も母もれんげのことをすっかり忘れていました。

日曜日の夕方、庭で遊んでいた時、そろそろ山際へかかりそうな夕日が眩しすぎて、私は目を閉じました。すごくオレンジだと思ったその瞬間、れんげのことを思い出したんです。「お母さん!れんげ!」私は大慌てで母に声をかけて、母もそれで思い出したようでした。

ちょうど夕食の支度をしていた母は、これからおばあちゃんちにれんげを摘みに行くことにひどく逡巡しました。もう夕方だったから、時間が遅かったからだと私は単純に理解したつもりだったけれど、今思えばさまざまな事情があって、あれだけ迷ったんだということがわかるんですね。

当時、私6歳、弟4歳、そして母は夏に出産を控えていた、それだけでも帰宅が遅くなるような外出は避けたい。さらに父は定刻に食事が用意できていないと怒る人だった。食事に限らず、すぐに不機嫌になった。あの時父は外出中で、母は連絡を取ることができなかったこと、それも行くのをためらった理由だと思います。

結局、近所の空き地でれんげを摘みました。弟が花の部分だけを摘んでくるから「茎も一緒に、長くね。」、日が暮れて薄暗い中「こんなに暗くなったのに外にいるなんてはじめて。」と話しながら。空き地を2か所回って、何とか私の握り拳1つ分のれんげの花束ができました。

帰宅後、母はおばあちゃんと電話で話し、私に「やっぱり今、れんげたくさん咲いてるって。来ればよかったのにって言ってたよ。」と言いました。れんげの花束は、たっぷり水を含ませて、明日忘れないように玄関の飾り棚に置いて寝ました。

電話が鳴った

翌朝、一本の電話がありました。祖父からだったか、おばあちゃんが亡くなったことを知らせる電話でした。朝、おばあちゃんが倒れていて、すでに息がなかったと。死因は心筋梗塞。電話を受けて、私はこれからおばあちゃんちに行くこと、そして小学校を数日休むことを聞き、小さくスキップをして父に叱られました。でも、昨日あれだけ行きたかったおばあちゃんちに行けることがうれしかった、行けばまたおばあちゃんに会える気がして。

おばあちゃんはとても穏やかな顔をして眠っているようでした。私はそばを離れることができなかった。大人たちは、祖父を問い詰め、泣いて、とても混乱していました。おばあちゃんを発見したのは何時なのかと。祖父には二号さんがいて、夜は二号さんの家に泊まり、朝帰宅するという生活を送っていたから、おばあちゃんの発見が遅れたのではないかと。そんなことをしてなければ、救命できたのではなかったか。

あの日からの母の悲嘆を思うと、私はどうしてれんげのことを忘れてしまったのか、もっと早くに思い出していれば、おばあちゃんに会えたのにと思わずにはいられません。年齢を重ねれば重ねるほど、会いたかったな、母に会わせてあげたかったなという気持ちが強くなる。

れんげとおばあちゃんと母のこと、毎年春になると思い出します。今年ももうすぐおばあちゃんの命日を迎えます。