第一子長女の共通点|友達と13年ぶりに会って思ったこと

【MELLOW’s Diary】MELLOWの編集者が綴るDiary。13年ぶりに会った友達との意外な共通点。<PR>当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。
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突然の手紙
先日、小・中学校時代の友達と13年ぶりに会いました。きっかけは、友達から実家に届いた一通の手紙。ラインもメールも不通、現住所も不明で、考えうる最終手段。
積もる話の中、最大のテーマは「第一子長女と母との関係」。ランチして、移動してお茶して、またお店を変えてお茶して、気づけば7時間が経っていました。
お互い第一子長女。ずっと母の不満や愚痴を聞いて育ってきたこと、母フィルターがかかっていたから祖父母や父を見る目がかなり曇っていたこと、母は若い頃めちゃくちゃ美人だったこと、一時は母との同居を本気で考えたことがあったこと、そして夫によって目が覚めたってことまで友達と共通していました。
友達と私は、生き方も性格も何もかも違うところが面白いのに、実はこんなに共通点があったなんて、出会って40年近く経ってはじめて知ることばかりで驚きました。
第一子長女の苦労
常に誰かの悪口を聞かされる

母は常に、父や父方の祖母、親戚、近所の人など、誰かの悪口を言いました。悪口を聞いていると胸が痛んで、とても嫌な気持ちになりました。
そのため子供の頃からずっと「私が母を守らなくちゃ」と思っていたし、大人になってからは「母をおいて私が幸せになってはいけないんじゃないか」と思い続けていました。
高校生の頃、あまりに父の悪口を言うものだから聞いたことがあったんです、「どうしてそんなひどい父と離婚しなかったのか」って。
母は「すごく別れたかったけれど、あなたを妊娠したことがわかったから離婚しなかった。妊娠が分かった時はうれしかった」と言いました。
うれしかった?私なら絶望する。
自己肯定感がなくなりました。「母が不幸なのは私のせいなんだ」と思いました。
変わろうとしない母

確かに父は至らないところが多すぎました。モラハラだったし、”いかにも姑”な言動をする祖母から母を守らなかったし。私でさえ、思い出すと未だに腹が立つこともあります。
でも今はとても変わった。にも関わらず、母は今も過去に遡って言い続ける、あの時ああだったこうだったと。まるで今もそうであるかのように。
「そうだね、あれはひどかったね。それで今はどう?今は」と聞くと、黙り込む。
父の変化を認めず、母は何も変わらない。これでは何の進歩もないんです。そんなにも強い恨みなら、一緒に暮らすべきではないでしょう。
仄めかしLINE

「え?それはどう言う意味なの?」「もっと詳しく教えて」と私に言わせたいとしか思えないような、中途半端な仄めかしLINEを母は送ってきます。
LINEに文字制限はないのに、まるで電報のようだったり、ある時はポエムのようだったり、体言止めが多かったり。まともな相手なら一往復で済むはずのやり取りが何度も何度も続くストレス。
こちらが耐えに耐えて何度やり取りを続けても埒が明かない。挙げ句の果てには「持病の薬のせいで意識朦朧」「認知症(疑)だから」と送ってくる。
LINEでさえも、相手の気を引きたい、注目されたい。辛辣なことを言いそうになるのを堪えて、返信は最低限にとどめることにしました。
夫登場

ある時、夫が言いました。「お父さんはそんなに悪いか?」って。
「あなたやお母さんから聞いていたお父さんの話と、実際本人に会った時の印象が違う」「そりゃあ昔は酷かったのかもしれないけれど、今俺が見る限り、お父さんは非常に真っ当だ」って。さらに「お母さんは全然弱くないぞ」とも。
その根拠を聞くと、腑に落ちることばかり。
人生のほとんどを「母かわいそう」と思い続けてきた私は、夫にそう言われても、はじめのうちはまだ「母かわいそう」の思考に引っ張られそうになりました。でもそのうち、長年母から悪口を聞きすぎて曇っていた視界がクリアになっていきました。
一時は同居を考えたことがあっただなんて、もう「危な!!」の一言に尽きる。
夫はいつもフラットな視点で、私にとっては目から鱗なことを言い出します。
私にとって最大のストレスだった親戚付き合いについても、夫は「血縁関係だからという理由だけで嫌な人と付き合うことはないでしょう」とバッサリ、私のストレスをゼロにしました。
もう巻き込まれない

母の話を真に受けていた頃の私は、本気で母を、いわば地獄のような状況から救い出したいと思っていました。でも今となっては、母のいるところがそもそも地獄なのか私にはわかりません。
なんでも他人のせいにして、頑なに自分を変えない母に対して、私は少し距離を置くことができるようになりました。母の話を鵜呑みにして、「大切な人が辛い目に遭い続けている」と心配し続けるのはやめました。
私はしあわせでいたいし、機嫌良く過ごしたい。母の不幸話に巻き込まれて辛い時間を過ごすような暇はないと、割り切れるようになりました。
人生後半はもう大丈夫
友達も私も似たような目に遭っていたことに驚きつつ、人生半ばは過ぎたけれどギリギリ気付けてよかったねって夫の存在に感謝し、再会を約束したのでした。